
大学を卒業した春。
涼太は、祖父が残した古い家を管理するため、しばらく田舎で暮らすことになった。
山に囲まれた小さな集落だった。
住人はほとんど老人ばかりで、夜になると驚くほど静かになる。
引っ越してきた初日の夜。
近所の老婆が訪ねてきた。
「夜中に、窓を叩かれても開けちゃいけないよ」
唐突だった。
「はぁ……」
「返事もしちゃいけない」
老婆はそれだけ言うと帰っていった。
妙な土地だな、と涼太は苦笑した。
その夜。
午前1時過ぎ。
コン……コン……
窓を叩く音で目が覚めた。
最初は木の枝かと思った。
だが音は一定だった。
コン……コン……
寝室の窓。
カーテンの向こう。
涼太はスマホで時刻を確認する。
1:17。
コン……コン……
そして女の声。
「開けて」
涼太の全身が硬直した。
若い女の声だった。
「寒いの」
窓の外は土砂降りだった。
涼太は布団の中で息を潜める。
すると声が少し近づいた。
「いるんでしょ?」
コン……コン……
「見えてるよ」
涼太は思わずカーテンを見た。
その瞬間。
カーテンの下。
窓の外に、裸足の足が見えた。
白い足。
雨で濡れている。
でもおかしい。
この部屋は二階だった。
コン……コン……
「ねぇ」
声が笑っていた。
「こっち見て」
涼太は布団を頭まで被った。
朝まで一睡もできなかった。
翌朝。
近所の老人たちに昨夜の話をすると、全員黙り込んだ。
やがて一人が言った。
「返事はしたか?」
「……してません」
老人たちは安堵したように頷いた。
「なら大丈夫だ」
理由を聞いても誰も答えない。
ただ、
「夜は窓を見るな」
それしか言わなかった。
数日後。
涼太はスーパーの帰り、山道で迷った。
日が暮れ始め、辺りは薄暗い。
スマホも圏外。
その時、道の先に人影が見えた。
女だった。
白い服。
長い髪。
俯いたまま立っている。
涼太の喉が鳴る。
女がゆっくり顔を上げた。
目が合った。
ニタァ……と笑う。
次の瞬間。
女がいた場所には誰もいなかった。
背後で声。
「見つけた」
涼太は悲鳴を上げて走った。
木の枝が顔に当たる。
転びそうになりながら、必死で山道を下る。
すると前方に灯りが見えた。
集落だ。
助かった。
涼太は全力で駆け込む。
だが様子がおかしい。
静かすぎる。
家々に灯りがない。
人の気配もない。
そして気づく。
村が古い。
今よりずっと。
電柱もなく、道も舗装されていない。
背後で、ぴちゃり、と水音。
女が立っていた。
今度はすぐ近く。
顔がはっきり見えた。
口が裂けるほど笑っている。
「やっと帰ってきた」
その瞬間。
誰かが涼太の腕を掴んだ。
「目を閉じろ!!」
老人だった。
昼間に話した近所の老人。
老人は涼太を引きずるように走った。
背後で女の笑い声が響く。
ケタケタケタケタ……
「後ろを見るな!!」
老人は叫びながら、塩を後ろへ撒いた。
すると笑い声が遠ざかる。
気づけば、元の集落の入口に戻っていた。
街灯がある。
車の音もする。
涼太はその場に崩れ落ちた。
老人の家で、涼太は話を聞いた。
昔、この土地では土砂崩れが起きた。
山道ごと、一つの集落が埋まった。
多くの人が逃げ遅れて死んだ。
その中に、一人の若い女がいた。
助けを求めて、家々の窓を叩き続けたという。
だが誰も開けなかった。
老人は震える声で言った。
「だから今でも探してる」
「“開けてくれる家”を」
涼太は青ざめた。
「返事をしたら……?」
老人はしばらく黙っていた。
やがて、小さく言った。
「次は、お前が窓を叩く側になる」
















