
雨が降り続いていた。
終電を逃した真司は、仕方なく徒歩で帰宅していた。
駅からアパートまでは30分ほど。
普段ならタクシーを使う距離だったが、その日は財布に千円しか残っていなかった。
人気のない住宅街を歩いていると、後ろで足音がした。
ぴちゃ、ぴちゃ、ぴちゃ。
自分の足音に混じって、もう一つ。
真司が立ち止まる。
足音も止まる。
振り返る。
誰もいない。
「……気のせいか」
また歩き出す。
ぴちゃ、ぴちゃ、ぴちゃ。
今度はさっきより近い。
真司は早足になった。
住宅街を抜け、古い団地の横を通る。
その時。
「もしもし」
女の声。
すぐ後ろだった。
真司は飛び上がるように振り返った。
女が立っていた。
白い傘。
長い黒髪。
顔は俯いていて見えない。
「……何ですか?」
女は小さな声で言った。
「この辺に、“中村荘”ってありますか?」
知らない名前だった。
「いや、分かりません」
そう答えると、女は黙った。
微動だにしない。
真司は気味が悪くなり、会釈だけしてその場を離れた。
だが。
ぴちゃ、ぴちゃ、ぴちゃ。
また後ろから足音がついてくる。
真司は振り返った。
女がいる。
さっきより近く。
傘の隙間から、口だけが見えていた。
笑っている。
真司は恐怖で走り出した。
細い路地へ飛び込む。
コンビニの灯りが見えた。
助かった――
そう思った瞬間。
店内が真っ暗だった。
閉店している。
ガラスに貼り紙。
「閉店しました」
真司は舌打ちしながら再び走る。
後ろの足音は消えない。
ぴちゃ、ぴちゃ、ぴちゃ。
一定の速さで追ってくる。
なのに距離が縮まっている。
とうとう真司はアパートにたどり着いた。
築40年の古い木造アパート。
震える手で鍵を開け、部屋に飛び込む。
ドアチェーン。
鍵。
カーテン。
全部閉める。
「はぁ……はぁ……」
静かだった。
足音もしない。
真司はその場に座り込んだ。
しばらくして、スマホが鳴る。
母親からだった。
「もしもし……」
『あんた今どこ?』
「家だけど」
『今すぐ外出なさい』
真司は眉をひそめた。
「は?」
『ニュース見てないの!?』
母の声は震えていた。
『あんたの住んでるアパート、さっき火事があったって!』
真司の思考が止まる。
「……え?」
『死者も出てるって……!』
真司はゆっくり顔を上げた。
部屋の中。
焦げ臭かった。
さっきからずっと。
壁紙が黒く焼けている。
天井も煤だらけ。
そして気づく。
部屋が妙に静かだ。
雨の音もしない。
外の車の音も。
何も聞こえない。
その時。
背後で、ぴちゃ……と音がした。
真司はゆっくり振り返る。
部屋の隅。
あの女が立っていた。
傘を閉じ、濡れた髪の隙間からこちらを見ている。
女は小さく首を傾げた。
「やっと帰ってきたね」
真司は震えながら後ずさる。
だが足が何かにぶつかった。
床を見る。
黒く焦げた“人の形”。
その中央に、溶けたスマホが落ちていた。
画面だけがぼんやり光っている。
ニュース速報「〇〇アパート火災。男性1名死亡。」

















